武田勝頼
伊豆進出

韮山城
龍泉寺-1580年頃創立
長浜城
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曹源寺-1330年
(文化的な側面を持つ後北条の寺?)
祐泉寺-1567年
1580年頃
山門前が長瀬川
山と川とへ挟まれた
狭くて細長い境内
  子供たちが小さかった頃、発端丈山へハイキングへ行ったことがありました。ロープウェイで葛城山まで行き、そこから発端丈山へ、それから尾根づたいに行き、三津へ降りたことがありました。葛城山山頂から長浜海岸まで子供連れで約2時間の行程であった。後で知ったのですが発端丈山へは長瀬川を上っていくコースもあったようです。
 さて上記の写真にある龍泉寺は、日当たりも良く、よい環境の場所のような感じがしますが、これも12月から3月にかけては一変します。裏山が急にせまっているためこの季節になると日が射さなくなり、かろうじて午後1〜2時間程度しか出ない状態になり、日中でも霜柱が凍ったままです。ただ門前では午前中から日があたるのですが、すぐ長瀬川がせまっています。この数年、週1・2回寺へ来るのですが、この季節はとても寒くなぜこのような場所に寺をたてたのかとても疑問に思っていました。この地区には、反対側の日当たりのとてもよい山ふところの場所が、いくらでもあるのです−−−−−−。長瀬地区がほとんど檀家で、寺のものは地区のものといった共同体の状態にあります。以前にハイキングで坂を下って出た場所が長浜の海岸で、当時はあまり知られていない北条水軍の根拠地であった長浜城跡がすぐ目の前にありました。今、沼津市が後北条の城跡として整備しつつあります。
  さて、寺の由来をたどっていくと、それぞれ当時の社会情勢と何かしら関係していることがいくつも見出すことができます。。龍泉寺が建てられる前の時期は、武田氏が駿河に進出し、北条氏と武田氏がたえず争っている時で、水軍の重要さが叫ばれていた。隣村の小坂地区には戦国時代前から伊豆中央部の中でも有力な大寺院であった曹源寺(後北条の寺)があります。ところが戦国末期に(1580年頃)、隣村の長瀬地区に龍泉寺が創建されるわけですが、曹源寺から歩いて20分の所で、また長瀬川と山の挟まれてた、寺としては実にふさわしくない場所にある。そこでこの時代背景と地理的条件からなぜ龍泉寺が当地に創建されたかを、推論してみたい。

 
上記の写真からわかるように寺の境内地としては当然生活しやすい戸沢川北側が最適である。又、傾斜がなだらかで、奥までつづいている土地で建物もたてやすい。では、何故日当たりが悪く、生活しにくい現在の場所の建てたかは当時の世の中の動きと密接な関係があるのではないだろうか。
 武田信玄が1568年駿河の今川氏真を攻め落とし、駿河を占領後京都を目指していたが、病のため西上を果たせず後を託した武田勝頼も1575年、織田信長・徳川家康との長篠の合戦で大敗する。しかし武田勝頼は1579年伊豆進出を目指し、沼津、三島方面まで侵攻し伊豆の入口を押さえ、又今川水軍を踏襲した武田水軍も伊豆方面に進出してくる。従って当時の小田原北条氏の最重要課題の一つが伊豆の北条水軍の根拠地である長浜城の強化となってくるのである。龍泉寺創建の正確な時期は不明だが1580年前後と言われているのでこの時期の情勢と一致していると思われる。従って下記のような理由付けがでてくるのである。
          龍泉寺が現在地に建てられた理由は?



補足 h17,9,1 龍泉寺所有の山林からの考察
 昨年まで龍泉寺所有の山林の管理は従来より総代に一任してあったのでその範囲がわかりませんでした。ところが昨年より土地の境界線につい伊豆長岡町より一部について現場確認の調査がありました。そこで、名寄台帳にのっている山林を法務局からとりよせたところ大きく分けて2箇所所有してあることがわかり、また裏山からではなく寺の反対側の山に山号に相当する地名があることも判明、龍泉寺建立の補足として下記の資料を挙げて内容を補足した。

                 
寺の反対側の山(松ケ洞)--6500坪
龍泉寺創建の目的とその位置についての一考察

※赤点線の修善寺方面からは 現在は益山寺まで路線バスがある。長浜までは自家用で通行可能

曹源寺

韮山城へ

※修善寺へ

長瀬川山超えル−ト

戸沢川山超えル−ト

葛城山

漆洞

松ケ洞

長浜城

益山寺

龍泉寺

(軍事的な側面を持つ緊急的に創建された後北条の寺?)
・麓からなだらかな丘やゆるやかな斜面が多く存在する
・一日中日当たりがとてもよい
・龍泉寺所有の山林の上に小山があり、この 付近では一番目立つ山である
・山林の地名は松ケ洞で龍泉寺の山号のもとになっている
・山と川で挟まれた細長い土地(境内)
・裏山は急で、墓地も途中にあるが上り下り 一苦労 
・12月から2月までは日がささず、氷が解けず花やしきびなどもあげれないこともある
・山林横の地名は漆洞で、裏山は葛城山まで続いている
龍泉寺所有の山林の特徴

龍泉寺より長浜城までの山越えル−ト

韮山城から長浜城までの緊急時補給ル−ト

寺の裏山(左が漆洞)--7000坪