三島大社から下田街道沿い400mが一昨年国指定の街並み整備地区(全国で40ケ所)になり電線地中化工事や下水道など徐々に工事が進んでいる。まだ歩道や街路樹、街燈等の整備は始まっていなく街並みのイメ−ジが伝わってこない。
さて、つい最近完成した祐泉寺本堂の西側の小沼ビルの正面左側(下田街道沿い)にチョットした小庭園が造られた。以前小沼邸の屋敷の隅にあった『史跡伊豆国分尼寺跡』の石塔をこの小庭園の一部としてつかっている。祐泉寺にある伊豆国分尼寺西塔の礎石の発見場所がこの小庭園より南10mの場所に位置している。小庭園の中に水を回遊する工夫がなされており小沼氏の街並み整備と環境への思いが伝わってきます。街並み整備の歩道工事が始まっていない中、小沼ビルのチョットした環境への配慮は下田街道沿いの各家々の先駆けとなるものと考えられる。歩道を通る人たちが何気なく眼を向けている様子はある面では公共性を持つものと考えられるのではないでしょうか。小さいことではあるが各家々の街並み整備の工夫に対し市からの補助も積極的にしていただきたいと思われます。
住職雑感(最近の出来事)--12
7/26 台風が近づく中、曹源寺看護自安宗健禅士の新忌斎と墓地建立供養を実施
7月26日台風7号が近づく中、自安禅士の新忌斎(一般では四十九日法要にあたる)を行った。確実に来るのは、友人の田種寺さんと、川崎石材の青野氏の3人であったので、風雨も強くなり30分早めに行ったところ終了前後に3人の檀家さんが見えられ、お焼香をしていただきました。特に葬儀のとき
7月26日に新忌斎をやると伝えたのみでしたので---------。
6月16日の葬儀の時も雨、今回もさらに激しい風と豪雨と自安禅士の斎会にはある面においてはふさわしい感じがしました。
又、曹源寺を23年間看護していましたので藤居自安氏の石塔を歴代住職の墓の中に建立した。田種寺さんと半分づつ出し合いあい、自安氏が田種寺さんを通じて知り合い、懇意にしていた川崎石材さんに造っていただき法要終了後石塔建立供養を参列者と一緒にいたしました。
この位置に建立
歴代の住職等の墓
昨年は雨天のため中止となってしまった恒例行事となった『街中がせせらぎウォ−ク』が時々小雨が降る中実施されました。商工会議所の方が朝課(毎朝のお経)している中、6時20分頃見えて旗やパイプ椅子10脚ほどおいていき、朝早くから張り切って様子が想像できました。2,3日前の天気予報では雨の確立が70%と昨年に続いて悪かったのですが、昨日の天気予報では曇り(降水確率20%)と今回の長いコ−スでは良い気候となる予定でした。今回は特に湧水スポットを中心に組まれ源兵衛川から東洋一湧水量をほこる柿田川まで延ばした特別コ−スが入ったため2時間コ−スが3時間半かかる設定でした。ところが7時頃から1時間強い雨が降り出し、雨天実施の行事でしたのでこの先がおもいやられました。
9時頃にいつも来られるグロ−バル文化協会の方々7,8名が見えられる頃には雨もやみ、曇り空の中開始されました。今回の長いコ−スの後半の散策スポットであるので10時頃から見え始めましたが、11時頃からが人数が急激に増え始め、受付、麦茶、抹茶の接待など大変忙しそうに活動していました。今回は沼津市のボランティアの協力を得てハ−モニカの演奏を取り入れて参加者と一緒に歌う場面もありました。私は午後用事があり出かけたのですが、12時半頃柿田川公園前の国道を通過した祭に三島方面に向かって歩くリックサック姿の方々が多数発見、その数の多さにあらためて驚いてしまいました。ただ、天候も時々小雨がふる程度で、炎天下の歩行に比べたら今日の天候はベストに近かったのではないでしょうか。参加者は2 2日付け静岡新聞で1900名と書かれていました。
三島市は平成13年度から14億円を投じて市街地を流れる湧水河川、歴史資源を取り入れた街並、回遊ル−トの整備等をしてきた。その結果都市景観が向上し、市民意識の中にも変化が見られてきました。私たちの住んでいる大社町一区(旧市ケ原)は三島大社の表参道や、そして伊豆国分尼寺跡(大興寺)の礎石等歴史的遺構がある地域でことのほか街並みづくりの意識が強い地域です。三島大社前の表参道400mが国の指定を受け、街並みが整備され来年には完成されますがハ−ド面ばかりではなくソフト面で日頃の地道な活動が大切となってきます。
回遊ル−トが充実、整備された中、これから街中がせせらぎウォ−クの参加者を迎えるソフト面がいっそう重要視されグロ−バル文化協会の方々の活動の重みが増してくるのではないでしょうか。
歴世塔
比較的新しく自安氏が 造ったようだ
自安宗健禅士の墓
蒸し暑い中のウォ−ク、麦茶のサ−ビスには皆さんホット一息した様子
ハ−モニカ演奏で参加者と一緒に歌う面々
下田街道沿いの小沼ビル正面横の小庭園
H17,8月末に完成