曹源寺の情景と
 自安禅士が残したもの
  
外側から見た庫裏
曹源寺庫裏内の太い中心柱
左記の場所を室内から見た情景
外の縁側から眺めた南側の裏山と庭園
 曹源寺の現在の庫裏は祖父の高田義門和尚が大正時代兼務住職時からあり、言い伝えによると明治時代に古い民家を移転して当地に建てたもので、江戸時代の建築物だそうである。家の真ん中に囲炉裏があり、そのすすが天井や柱に真っ黒にこびりついており、特に柱は黒光りして柱の太さと相まって重厚なおもむきを感じさせられる。
 23年前に自安禅士が龍沢寺専門道場の故鈴木宗忠老師の紹介で曹源寺に来たが、この建物から見た外の風景(南側)が大変気に入りそのまま看護として23年間を過ごした。この間自分の蓄財の数百万を出して当時廃止になった南側の幼稚園グランドに梅林を、庫裏前には太平洋から富士山、箱根、天城、駿河湾をみたてた庭園を造った。また、古い建物も気に入ったようで、できるだけ原材料で生かせれるようにあまり改修することは無かった。この一番上の外の景色の写真からもすばらしい環境のなかにあることは感じられるが、この下の写真のようにやや薄暗い家の中より外を眺めたときめったに見なれないない情景が浮かび上がってくる。この古びた障子が絵画の額縁のかわりとなり建物の重厚さと相まって見る我々に何かを感じされる情景となって現れてくる。今まで全国の観光地や寺々へ行ったがこんな不思議な情感を感じさせるところはめったにないとつねづね自安禅士は言っていたがわたしもそう思う場所である。
 自安禅士が亡くなってから二週間後、葬儀にも県外からかけつけてくれたS子さんから曹源寺の情景と自安禅士の生活ぶりから感じたことをいろいろ聞くことができた。
 以前にもある方の紹介で夫婦で曹源寺へ来たことはあったが1年前精神的にも疲れきっていて禅的な何かを求め、一人で来山したが、禅士が体調がすぐれない中会っていただいとのこと------。
 お茶をいただく中で、古い食器やヤカン類などとても大事に使われていてまたそのお茶をゆっくりと呑む姿にほんとの気品と清楚を感じたこと、また室内から外の情景を見ながら動物の鳴き声、特にウグイスの心にしみわたる美しい泣き声---あとで街中の自宅で聞いたウグイスの鳴き声とは全然違うものであったこと、曹源寺を出る頃には精神的な疲れが消えてなくなってしまったことなど--------。
 たしかに破戒僧で、酒でのトラブルがたえない自安禅士であったが一時的には一般の僧侶とは違う時代を超越した禅宗坊主としてすごみを示す場面もあり、曹源寺の情景と一体となって人の心に影響をあたえたのであろう。S子さんは自安禅士が亡くなってもこの建物のたたづまいとその情景がかもちだす雰囲気が気に入り月数回お掃除に来て見たいとおっしゃっており、今回も掃除するつもりでいたようです。
 自安禅士が亡くなった今、この建物の維持はきわめて大きい課題で建物の中からみた情景をいかに後世に残して伝えていくか檀家ともども考えていかなくてはならない。