住職雑感(最近の出来事) 13
11/8 早雲寺 寺宝特別公開に行ってきました (公開日---11月4日〜6日)
昨年都合で行けなかった早雲寺寺宝特別公開に家内と行ってきました。4日公開時間の9時過ぎに到着、書院に行きましたら以前弟子が三島龍沢寺でお世話になった泊船寺の副住職が案内役でお手伝いにきていました。見学者も十数人いましたがやはり北条5代画像や早雲自筆書状などに関心が集まっていました。上の茶室に行きましたら住職の奥さんと出会い、茶室への来客まだなかったので抹茶をいただきながら世間話をしていましたら本堂にて住職の説明があるとのことで本堂へ移動、二十人くらいの見学者が集まっていました。本堂へは何回も来ているのですが襖絵がある状態での見学は始めてで、住職も言っていましたが京都の禅宗寺院ではよく見かける龍の襖絵も関東では非常に少なく、大変重厚な趣のある文化財にふれることができました。
室中(本堂中央の間)の荒々しい龍虎図や両脇の間の山水画もすばらしかったのですが、今回特に気になったのが上間の間(左奥の間)の商山四皓図でした。一ケ月前に兼務している龍泉寺の檀家の家族から生前に戒名をつけてほしいとの依頼があり、長いこと商社や貿易会社の経営などに関係していたので商のつく戒名を探していたのです。古語辞典の中で商山という熟語が目に留まり、秦の時代『四皓のかくれた山』等の意味が出てきたのです。東園公、角里先生、綺里季、夏黄公の四老人がどんな人物かも少し辞書には解説が出ていましたがそんなことを思いつつ商の一字を基に戒名をつけ、本人の奥さんにその戒名をつけた理由を説明しました。今回その商山の四老人の襖絵を見る機会にめぐり合い不思議な因縁を感じたところです。
今年で3年目、まだまだ早雲寺寺宝公開が世間一般に知られていなく状態ですがPRしだいでは今後関東方面の方々の増加が見込まれるのではないでしょうか。今回は一般客と一緒の時間帯でしたので内部の見学者の雰囲気や襖絵、人物画像など写真にとれませんのが残念でした。
早雲寺の山門と玄関
京都の紅葉の状態を知りたくていろいろなHPを見ていたところ、あるおもしろい内容の記事が出ていました。コケの管理が綺麗にされている庭園はモミジは色づきがよいという内容でしたが少し思い当たることがありました。今年新たに造った南庭とその西側部分のコケの生育が例年以上に良いのです。
8月、9月の日照りと10月の多量の雨そして11月に入ると例年にないくらい続いた朝晩の冷え込みがある現象を起こしていました。とにかく晴れていても朝露だけはものすごく目立つのです。その環境下10月から11月にかけては干からびて枯れそうになっていたタチコケやスギゴケが復活してきて、夏の間寒冷紗をはじめてかけたとはいえ今までにないくらいの生育ぶりなのです。たしかにコケ庭園の名所が多い京都盆地の気候、日光と朝晩の適度な湿度がこの三島でも11月には毎日観察できました。従ってこの朝晩の湿気とつめたい冷気がモミジの紅葉に大きく影響したのではないでしょか。
苔の生育が例年以上によい年は紅葉の発色がよいはあながちまちがってはいないような気がします-----------。
12月1日から二日ほど京都近郊の光明寺や勝持寺方面の紅葉見学に行ってきましたが、帰ってきたら境内のモミジは落下が始まっていて京都と同様で1週間ほど色づきが遅く、落下は例年通りで期間は短かったようようでした。
9年前に移植した本堂前のもみじ
同時期に移植した本堂西側の黄色のもみじ
旧プレハブ小屋跡に造った南庭続きの苔庭
一部ですがジャリ石部分まで生育したタチゴケ
三島市仏教会主催の成道会が11月30日(水)善教寺にて挙行され任期中の大きな行事がすべて終了しました。三島市では約50ケ寺の寺院がありますが、今回の会長が私のすぐそばの誓願寺さんで、東分会(旧市内半分の9ケ寺)から副会長として自分自身が出ているため各種会合や行事の中心的な運営に参画することが多かったたのでようやくほっと一息、後は1月の総会が終われば任期終了になります。
今回の成道会は浄土系が当番でしたので、会場の法要や仏教文化講演の講師も浄土系関係の方でしたが、善教寺さんでは数日前も寺行事があり檀家の役員の方々は大忙しだったようでした。浄土系による30分の法要後は10分間仏教婦人会による歌の合唱、そして1時間の講演会など1時間45分でおわりました。講師の遠山博文師(寶泉寺住職)は1年間影絵でアメリカ講演するなどその分野の第一人者でまた青少年活動のボランティアなど支援する等伊東市の教育委員の中心的役割を担うなど様々な活動をされている方でした。特に後半では自分の青少年に対する願いや想い等が話されいたのが印象的でした。
浄土系による成道会法要--導師善教寺
仏教婦人会による仏教賛歌
遠山博文師による講演 演題『まこと』