曹源寺看護の藤居自安氏が逝去す h17,6,18
総代の小野氏の奥様で友人でもある県会議員の登志子さんよりいただいた弔辞を代読
小坂の人々に見送られながら献体の車にのって出棺(東京の日大へ)
 平成17年6月14日午前12時頃突然曹源寺檀家の水口薫氏より電話あり。自安氏が救急車で順天堂静岡病院(伊豆の国市)に搬送され、隣家の渡辺氏が付き添ってくれたとの事。12時40分頃渡辺氏から「自宅に帰ったが、自安氏が意識不明の状態であった」等の一報で事の重大さが感じられた。1時40分に病院に着いたが1時46分急性大動脈解離で死亡と診断されたが、かたちの上で臨終を看取ることができた。後で聞いたところ自分で電話をかけたが、救急車が到着したときには意識不明の状態であってようである。本人が平成9年に日本大学歯学部に献体を申し込んであり、万が一のときは手続きしてほしいと頼まれていたことを思い出し、深夜であったが連絡先への対応に追われた。曹源寺檀家は5件しかなかったが、その日のうちに檀家の方4人と一番いろんな面で迷惑をかけた隣家の渡辺氏が境内、庫裏内の掃除にきてくれて、夕方まで手伝っていただきました。通夜、葬儀、出棺(日本大学献体の搬送車)の日程を一番の友人である田種寺和尚(三島市)と自安氏の弟康二郎氏(広島県)と相談し、次のように密葬で行った。

1、通夜 6月15日(水)6時---曹源寺書院
2、葬儀 6月16日(木)10時--同上
  出棺  同     11時--日大歯学部の搬送者にて東京へ
    維那 田種和尚   導師 祐泉和尚
    参列者 藤居康二郎氏(自安氏弟)と長男の康明氏
        檀家5名とその奥さん--10名
        小坂地区区長始め町内10名など

 藤居自安氏は同じ東大出身の故中川宗淵老師の直弟子として龍泉寺専門道場を始めとして、米国、和歌山など各地で修業し、龍泉寺の故鈴木宗忠老師の進めもあって、昭和40年代一緒に修行した縁で昭和57年私の兼務している曹源寺に看護として入山した。座禅中心の生活の中で時には常人には理解できない行動も見られ、誤解?をうけることも多々見受けられることもあり、また破戒僧の一面もみせ和尚の中には避ける傾向もあったが禅宗坊主として時代を超えた姿を見せるときもあった。とくに精神的に悩んでいる人たちの中には彼の一言や曹源寺の自然環境から救われたという人もいて、自安氏のすごさを感じられたこともあった。死に際しては一番の援助者で友人である田種寺和尚と偶然に前日話す機会もあり、突然死でありながら禅宗坊主として大往生ではなかったのではないだろうか。戒名は大徳寺派の僧籍もあることから自安宗健首座禅士とつけた。遺骨として帰ってくるのは1〜3年先だそうであるが、歴代の和尚の横に墓を作る予定で準備している。