北条新三郎氏信

西暦1567年祐泉寺創建

 北条幻庵の第2子、生年は不明であるが、没年は永禄12年12月(1569年)。兄三郎が若くして死んだためその遺領を継承す。正室は公家西園寺公朝の娘。
 1554年、今川義元・武田信玄・北条氏康らの三者同盟によって、この地方も小康状態を保っていた。義元が桶狭間の戦いで戦死しすると今川氏の旧領は武田氏と北条氏が奪い合う状態になり、北条氏康から蒲原城の守備を命じられた新三郎は武田信玄との戦いに敗れ、戦死する。生前、氏信によって建立され祐泉寺にて葬儀が行われ、埋葬された。墓所は墓地入り口より正面北側にある。戒名は三光院殿孝誉良玄大居士。
氏信には嫡男氏隆がいたが、北条氏滅亡後は当主氏直にしたがって高野山に入山、赦免後は讃岐生駒家に仕え、慶長14年(1600年)に没した。その後の子孫は不明。
 小田原城天守閣にて出品
(出品者等より撮影許諾済み)
  H14.11.19撮影
 小田原城天守閣二階中央に展示す。
他者の甲冑など5・6品もあったが、装飾など実用的でないものが目立つ中で、戦国時代の武将の特徴が出ている実践的な甲冑であろう。
北条新三郎氏信の甲冑
北条新三郎氏信の墓
三光院殿孝誉良玄大居士
蒲原城主
北条早雲の孫 
平成14年10月30日
  墓地改修
左斜め後のやや小さめの五輪の塔の墓は不明だが、同日に亡くなった弟の箱根別当長順ではなかろうか

(戦国後期の武田、北条、上杉、織田・徳川家の動向)

(上杉景勝と後継者争いをした上杉景虎のル−ツ)

日本の統一を早めた蒲原城落城以降の年表

蒲原城落城後の北条氏と上杉氏との同盟