藤居自安禅士の三回忌を終えて h19,6,8
一昨年の6月14日に亡くなった曹源寺を看護していた自安禅士の三回忌を6月8日に行いました。自安禅士の特異な生き方だったので特に関係の深かった田種寺さんと青野氏(川崎石材)と私とで3回忌を済ませました。法要が終わってから田種寺から自安禅士の若い頃のエピソ−ドを話してくれました。
以前『禅僧になったアメリカ人』のト−マス・カ−シュナ−氏の生き方をテレビで見て、東京の全生庵の住職だった故平井玄恭氏の紹介で龍澤寺専門道場で接心(1週間続けての朝から寝るまでの座禅)を2回ほど体験したことなどがあり名前程度は知っていました。田種寺さんが最近読んだ上記の本(花園大学禅文化研究所-平成18年5月31日発行)の中にカ−シュナ−氏の禅に対する影響を与えた人物の一人として藤居自安禅士のことがたびたび出てきたことなど話していました。その日の帰りに田種寺さんに寄ってその本をお借りしたのですがなんと私が修行した年に彼が龍澤寺専門道場(三島市)の接心に来ていたことがわかりました。当時の龍澤寺には托鉢以外は修行僧と全く同じ生活をしていたアメリカ人2人(たしかチャックとアレックス)がいたし、いろいろな時期に外人さんが座禅をしていてカ−シュナ−氏のことは記憶になかったのです。ただ二十数人の修行僧の中で英語が堪能な自安禅士が外国人と対応していたようだった。ただ当時自安禅士が僧堂から一時期出てカ−シュナ−氏に禅の道を導いた加藤耕山師(多摩にある建長寺派の徳雲院の住職--当時95歳)に身を寄せていて、カ−シュナ−氏と一緒に生活したことなど始めてしりました----その後又龍澤寺に帰ってきましたが--------。
最近の中では、自安禅士が亡くなる前に数回あった佐竹氏も影響を受けた一人でした。ただ庫裏の古さと境内の環境の心地よさの方が中心だったかもしれないが--------。自安禅士が亡くなってからもここの曹源寺の環境が大変気に入り、今年の4月に佐竹氏の夫がお亡くなったおりその遺骨を曹源寺に埋葬してほしいという相談がありました。曹源寺の環境にあったお墓(樹木葬と永代供養等が混在したお墓)を造る方向で検討している因縁をもたらしたものも自安禅士の不思議な影響力であると思いました。たしかに長く付き合っていると破天荒な生き方で、世の中の生活のル−ルを乱すこともしばしばでしたが雲水そのものの生活を通して時にはある人たちには心に大きな影響を与えたこともあったようでした。自安禅士の遺体は日本大学歯学部に献体として出されており、3年間位は戻ってこないことをいっていましたのであと1年近くはお墓に埋葬されない。
又、今年から1年に一度曹源寺の庫裏、境内の環境整備をやることになり檀家全員で6月3日(日)に実施されました。わずか5軒の檀家ですが二組の夫婦できてくれた家もあり私含めて8人で作業を行い、庫裏・本堂の清掃、庭の除草、境内の剪定など2時間半の作業で見ちがえるほどきれいになりました。昨年のイチョウと槇の木の大木の剪定、4月の庫裏北側の屋根と勝手口の修理、それから6月の環境整備なども含めて今回の法要を迎えることができたました。
本堂前の庭や境内
檀家全員で環境美化をした境内
曹源寺境内全景
大きく剪定したイチョウと槇の新芽が伸びだしてきた