臨済宗大徳寺派の主な地域の
          分布と関東への広がり

 臨済宗大徳寺派は末寺が約200ケ寺であるがその範囲は大きく分けて京都周辺の近畿圏、福岡を中心とした北九州圏、神奈川・東京を中心とした関東圏3つに分布する。本山の大徳寺は赤松則村の援助を受けて京都紫野に大燈国師(宗峰妙超)が西暦1315年に開山した宗派であるが、室町時代から京都中心に大阪、奈良、兵庫へと広まっていくが分布は上記のように特定の地域に限られている。
 関東への拡大は小田原北条氏の初祖北条早雲(伊勢新九郎)が小田原に戦国大名として地位を築いたときからである。小田原北条氏の菩提寺である早雲寺は2代氏綱が1521年大徳寺83世以天宗清を招き早雲の遺言によって小田原の近郊の湯本に開山した寺で最盛時は湯本全体を境内とし、数十の塔頭寺院と500名の僧がいたとされる。また当時塔頭以外にも伊豆、小田原周辺に十数ケ寺の末寺を要し隆盛をほこった。ただ北条氏が勢力を十分に把握できなかった関東地方には小田原北条氏の寺は戦国末期おいてはほとんどなかったといえる。
 その末寺の中で小田原城内にあった広徳寺のみが徳川家康によって江戸に再興され、加賀前田、九州立花、織田家など有力大名が檀家となり江戸でも有数な大寺院となり、早雲寺にかわって関東の大徳寺派の中心となって発展していく。現在でも敷地2万坪の都内でも最も大きい寺院のひとつとなっている。広徳寺が徳川家康によって江戸に再興された背景には小田原北条氏が関東に進出する前から岩槻城を中心とする旧勢力大田氏の菩提寺であり、北条氏の勢力を抑えることも大きな要因となっているのではないだろうか。
 従って上記の分布図より関東、北陸以北は大徳寺派の寺院はまったく存在しない。
 

ホ−ム

北九州-67
 福岡38
 大分19
 長崎10

兵庫・大阪-27

京都周辺-47

滋賀・三重周辺-20
(滋賀14、三重4、岐阜1、福井1)

伊豆・神奈川-13
(伊豆3、神奈川10)

東京都周辺-25
(東京19、千葉5、茨城1)