長浜城北条水軍まつり

ホーム

長浜城の模型図:山側は発端丈から長瀬、長岡温泉及び韮山城に向かうルートがあり一般民衆の重要な道路でもあった

一番上が第一曲輪、下が第二曲輪:上からは内浦湾から駿河湾にかけてよく景色がみえる

狩野川

長浜城跡(沼津市)公園整備完了記念として h27,5,24

 長浜城は戦国時代1579年に小田原北条家の氏政が北条水軍の根拠地として駿河を平定した武田氏に対抗してつくった水軍城と山城を併せ持つ全国的にもまれな城である。沼津市は2008年から整備し曲輪、櫓、木製の階段、説明版など今年5月に完成、24日に記念式典を行いました。長浜城と韮山城の連絡通路の途中にて長岡側の山際にある龍泉寺はこの時期に造られた北条五代が祀られている早雲寺の末寺で軍事的目的を併せ持つ北条氏の寺であったと思われる。(龍泉寺創建の目的参照----祐泉寺ホームページ)
 前日までの天気予報では雨の予報で当日も三島を出る時(朝7時半頃)には小雨がぱらついていましたが路線バスにて三津浜に着くころは空も明るくなり雨の心配もなくなりました。長浜城には8時50分頃に到着、城の上からでしたが9時よりの記念式典を少し見学後長浜城より15分ほどの距離にある内浦漁港会場に徒歩で移動、10時15分より受付する遊覧船上からの城跡見学ツアー(所要時間約30分--無料)に30分前から並ぶ。11時15分の乗船まで時間があり会場内の見学、もう1ケ所の小海会場(徒歩20分?)まで無料のシャトルバスがまわていましたが時間が不明なので行きませんでした。

 武田家・北条家の海戦:長浜城までせまった武田(今川水軍を踏襲)水軍を狩野川西の千本浜沖まで追った北条軍を千本浜で海戦を見たことのない武田勝頼が見学していたエピソードを船上ツアーで学芸員が説明していた。 北条水軍は最新鋭の安宅船(全長25m)を10艙ももっていたそうである。------長浜城跡のしおりより(沼津市教育委員会)

小田原北条鉄砲衆保存会の火縄銃が我々の乗った船(双方連絡しあう)に向けて4回の銃演武。船内では沼津市の足軽甲冑をきた歴史学芸員が長浜城の目的や北条・武田家の海戦の様子を説明。船上ツアーは11時15分と12時15分各先着150名が約30分乗船学芸員の話を聞き入る

黄瀬川

式典に参加する20数名の小田原北条手作り甲冑隊の面々、山頂まで登りの階段で高齢者が多く辛そうでした。

城の西側下の船型をした場所で記念式典

駿河湾から内浦湾まで一望できるが大瀬崎方面はみにくいが当時はのろしが重要な連絡手段であったと思われる。実際に1575年ころから北条氏政からののろしの発注文書が残っている。