曹源寺本堂の大修理が終了 h27,12,15

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本尊観音菩薩も一部修理

釈迦涅槃図の掛軸(縦250cm横110cm)

元禄7年に書かれ、名前がありますが、一般農民(庶民)は公式文書には名字は書かれなかったようです。ただ私的にはこのようなものには使っていたのではないか。江戸期の過去帳は私的文書にあたるもので一般農民も姓名を書いてあるもあるが私が住職している三ケ寺は地区の名前で名前を表記してあるものも多い。

    【当寺本堂内に残存する板書文章より】
  横1m、縦30cm余の松板、表題を含む文章の右端は一部なし。書かれた年月も不明、筆者も『執事(寺を看護する僧侶)』のみ。当初本尊の由来か功徳の書かれたものが、何時の時代に建物の補修として転用され、昭和2年頃発見して、額縁をつけ、現在のように保存されたと思われる。前半は『正観音菩薩由来記』で後半は観音の功徳が記されている。判読できる範囲で要約する

        
※先代筆頭総代故小野弘氏(文化財有識者--各田方地区校長歴任)判読

源実朝公が大宋国より拝請した聖観音菩薩が久しく禁中に安置されており、鎌倉にお下げがないので、実朝は多いに怒った。そこで足立盛長は兵二千騎をもって将軍の怒りを宮中に訴えたところ、叡慮により足立盛長の館に下された。盛長はこれを鎌倉に奉ったので、実朝観悦斜ならずと 。その後、正慶年(西暦1332年)中ごろ鎌倉兵乱の折、曹源寺開山黙翁禅師が当国に持ち来たり、此処に寺を建てて安置した。(足立---安達?)----観音功徳については省略。
※西暦1332年後醍醐天皇隠岐脱出・挙兵 1333年鎌倉幕府滅亡(執権:北条高時)          

掛軸下側の裏に下記の文字が表記:「元禄7(西暦1695年)年2月 表具破裂付寄付名簿」

     ※世話人は現在の曹源寺総代小野家・山下家・水口家の祖先

正観音菩薩由来記 :本堂内にて

桜井建設 桜井可奈子氏撮影 h27,12,1

木像の首を外した中側に文字が書かれていたが判読不明:鎌倉時代仏像

袖下の木片が取れてしまっている

袖下の端の木片が折れている

天井・屋根床下・測面壁等全面修復し、雨漏りの心配が全くなくなった

 今年の5月に本堂・庫裏・旧園舎等大改修をしたのですが6月、7月の集中豪雨にて本堂の一部から大量の雨漏りが発生した。本堂内の簡単な修理では難しいと判断し屋根、壁、床の大改修か簡単な構造で立て直すかを大岡建設に努める弟と相談、結局古い材料を生かした作りで大改修することになり、大岡建設の関連会社の桜井建設に工事を依頼した。桜井建設は母と娘さん中心に運営されている会社で特に娘さんは仏像に造詣が深く本尊観音菩薩像の木片の裾の端の一部(右と左)が折れたり離れたりしていたので修復を依頼した。仏像の一部破損は住職になって何とか修理したいと思っていましたが不思議なご縁でつながっていると感じました。又 仏像の首を取り出すと文字が書かれていたが判読は不明であったが中国宋の時代の仏師が造ったもので当時の雰囲気が何かしら伝わってきそうだ。
 又、内陣下の戸棚奥は寺の看護していた自安禅師がなくなったとき(平成17年)少し整理したのですが全面修理ということで床下全部を取り出したところ釈迦涅槃像の大きな掛軸(縦250cm横110cm)がでてきました。元禄7年(西暦1695年)に掛軸修復の文字がありはじめてみるその涅槃像の掛軸の大きさと豪華さに驚きました。ただ破損が相当あり修復しなければならないだろう。