今まで上杉景虎の存在は一部の人しか知られてなかったが今年の大河ドラマ『天地人』で一躍全国に知られるようになった。ただ上杉景虎の誕生のいきさつは大河ドラマや本でもほとんど北条家よりの人質程度の扱いでしかなかった。この景虎誕生の舞台裏については江戸時代に書かれた『小田原北条記上・下』の現代語訳をもとに焦点を絞って概略を表記す。
 武田信玄が京都を目指す途中の駿河を占領する最大の障害は富士川河口にあった蒲原城であった。北条氏康は幻庵の嫡男新三郎を蒲原城主にあてたが武田信玄との戦いで戦死しまう。後継者を失った幻庵は氏康の子・西堂丸を娘婿としたがその間氏康が病に倒れ亡くなってしまった。当時武田信玄の勢力拡大に抵抗した氏康は上杉謙信との同盟を進めている最中で、後継者になった氏政を支えたのは陰の実力者北条幻庵であった。頭首交代の中で自分の娘婿(元服して北条三郎)を1年もたたないうちに上杉家への人質を出さなければならなかった幻庵の決断は苦悩に満ちていたであろう。人質として越後へ行った三郎は上杉謙信の幼少期である『景虎』の名前をもらい『上杉景虎』が誕生するのである。蒲原城主『北条新三郎氏信』が戦死しなければ『上杉景虎』の誕生もなかったのではないでしょうか。
 蒲原城合戦で戦死した北条氏信は菩提寺祐泉寺に埋葬された。法名は三光院殿興誉良玄大居士
 平成22年5月『北条早雲とその一族』
(黒田基樹著)を参考に一部人物名を修正した
参考文献 小田原北条記上・下(現代語訳)・北条早雲とその一族(黒田基樹著)・戦国北条一族(黒田基樹著)

             




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上杉家へ人質→養子(景虎)へ

幻庵の娘婿へ(元服して三郎➡後離縁

蒲原城にて戦死

北条早雲

北条幻庵

北条氏信

西堂丸(氏康六男)

(謙信姉室)

政景

謙信 
(長尾景虎)

後継

長尾為景

直江兼続の活躍

北条氏政支援

後継者争い×

養子

養子

景虎

景勝

×後継者争い

(武田勝頼の間接的支援)

※御館の乱(景虎一族滅亡)

上杉家継承

北条氏信(早雲孫)と景虎との関係は

1567年 北条新三郎祐泉寺を建立
1569年 蒲原城主北条新三郎戦死
       武田信玄駿河進出
1570年 北条氏康死亡
       北条と上杉の同盟
       幻庵娘婿三郎
上杉へ人質
1573年 武田信玄死亡(勝頼後継へ)
1575年 長篠の戦い→武田家敗戦
1578年 上杉謙信死亡
        御殿の乱にて景虎戦死
1582年 織田家武田領へ→武田勝頼戦死
1583年 織田信長暗殺される
1590年 秀吉小田原征伐→日本統一へ

祐泉寺
  1567年建立

京都

■信玄館

織田・徳川氏

武田氏

北条氏

上杉氏

蒲原城合戦
 1569年

■浜松城

■岐阜城

■小田原城

春日山城