鎖雲寺
   住職 三浦宗清
伊勢原市田中

 瑚雲珊公によって寛文年間に創建された。開基は不明
住職 近藤関嶺
鎖雲寺(霊泉山)
関東の早雲寺末の寺々(1)
鑑照寺の写真は後日
呑海寺
呑海寺(稲荷山)  鑑照寺(大光山)
正眼寺
昌福院
伝心庵
住職 江口文亮
昌福院(稲荷山)
住職 江口文亮(兼務) 
伝心庵(地蔵山)

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住職 小野 宗幸
正眼寺(大本山)
宝泉寺(永禄山)
住職 原 宗寛
 
神奈川県小田原市風祭  開山 大室宗硯 開基 北条三郎
 
北条三郎時長は北条幻庵(早雲の第三子)の長子である。法号を室泉寺殿大年宗用大禅定門で、没年は永禄3年。当寺には、この地方唯一といわれる戦国地代の『寺領絵図』 が蔵されており、その裏には三郎の父北条幻庵(箱根別当職)の花押と短い文が記されている。三郎は父、幻庵が支配していた小机城(現横浜市北区)を継承し、その城主となる。秀吉の小田原攻めの時、早雲寺住職菊径宗存が早雲寺の寺宝を持って、小机領へ遁れ、兵火の収まるのを待ったというエピソ−ドが残っている
箱根町須雲川  中興開山 花岳宗栄 開基 不明

 鎖雲庵は東海道の通行に伴って設置された須雲川村民の要請で、寛永13年に早雲寺境内から移転、開創したものである。本尊の薬師如来は、この寺が、早雲寺の前身の真覚寺と関係があると推測させる。花岳宗栄は菊径の弟子と思われる。
箱根町湯本  中興開山 菊径宗存 開基 不明

 当寺の前身が古く鎌倉時代の地蔵堂(湯本)であることは地蔵菩薩像の印より知られている。江戸時代に入り、小田原藩の大久保氏より寺領安堵され、地蔵堂の再興がはかられた。その施主となったのが、上田志な(本光院)であり、先祖が北条氏の家臣であったことが、開山を早雲寺の菊径に請じた理由とされる。早雲寺に属するにあたって、寺名を勝源寺から正眼寺に改めている。施主の冬木屋上田氏は後の江戸屈指の材木問屋となり、光琳や乾山の有力な保護者となる。
小田原市山王原  開山 喜安宗慶  開基 道安居士

 開山については当寺所蔵の『明叟宗普道号頌』がある。この中で、早雲寺五世明叟は喜安について早雲寺第二世大室宗硯の弟子であると述べている。早雲寺末の寺院の開基は北条一門の有力者であったから、道安居士も履歴不詳ながら北条一門であったのではないか。
小田原市寺町  開山 賓岳 開基 北条早雲後室
 
 当寺の過去帳に『南陽院殿華渓宗智大禅定尼 長氏公(早雲)後御前 永正3寅年7月10日』とあり、早雲後室の牌所として建立された可能性がある。創建に関わる資料は上記のみであるが、この法名のつけ方から大徳寺派系の僧の特徴が現れている。
宝泉寺山門
     住職 金親 善学
小田原市山王原

 正眼寺と同時期に早雲寺の菊径宗存によって寛永初期に創建された。開基は不明