住職雑感(3)
8/26日 第4回街中がせせらぎ−−ウオ−クぶらり
 今回で4回目になる街中がせせらぎのイベントの1つ『ウオ−クぶらり-お江戸版』が8月26日(日)が9時から午後3時まで開催されました。普段あまり知られていない三島の隠れた名所、旧跡、自然をクイズ等を楽しみながら歩いてもらい、三島の街を再発見するイベント-------。
 今回は新聞等で前回は大変暑く、又休憩するところが少なかったという反省の新聞記事がでていましたので、コ−スポイントの一つである祐泉寺(代用伊豆国分尼寺跡- -大興寺跡)の本堂を休憩所として提供することにしました。
 この時期としては、薄曇の絶好な気候に恵まれ、9時半頃よりこの境内にも人が目立ち始めました。江戸版ということでボランティの方が着物姿で迎えました。今回は三味線の趣向----なんと外人さんが本堂の縁側でひいていました-----などあり、大変盛り上がりました。中でも『農兵節』が引かれると、それに合わせて踊る人も出てきました。でも9時過ぎから1時半頃までは、少しの休憩を除いてはずっとひいていましたので、大変だったのではなかったでしょうか。10時過ぎには狭い境内も人であふれていたようでした。11時過ぎ頃からは日が照り始め、本堂内にも多くの人が休んでおりました。特に本堂内は涼しい風が通っておりましたが、外は30℃を超えていたようでした。
 商工会議所の方の話によりますとチェックを受けた参加者だけでも1550名で、その他の方も入れると2000名はくだらないのでは言っていました。今回は本堂内も有効に使われて良かった思いました。
9/20日龍沢寺球道老師ニュ−ヨ−クより帰山しました
 ニュ−ヨ−クには龍沢寺と縁が深い禅堂が二つあります。郊外に大菩薩禅堂金剛寺(住職-島野栄道)と市内に紐育禅堂正法寺があります。
歴代の老師が毎年座禅の指導に行かれています。今年も、8月18日より9月14日まで座禅指導のためニュ−ヨ−クへいかれました。ところが貿易センタ−の爆破事件で帰れなくなり、結局三島へ帰ってきたのが9月20日になってしまったそうです。この貿易センタ−から紐育禅堂までは歩いても30分の距離だそうで、老師もこちらで指導していたようでした。事件の起きた夜中(日本)には龍沢寺に老師から連絡ありましたが、翌日には内外から心配する電話があったそうでした。
 先日の龍沢寺の施餓鬼(9月24日)には元気なお姿を見せていました。
9/23日年々盛んになった門前町下田街道祭り
 三島大社の鳥居から南に向かって大通りがあり、下田街道の通称で呼ばれています。この大社前からの祐泉寺の入り口の場所まで市ケ原通りと呼ばれ戦前まで三島で一番はなやかで、商売が盛んな地域で、特に大きな問屋がたくさんありました。この商店主の多くが第六天(祐泉寺境内)の信者であり、祐泉寺本堂建設の援助者であった。戦後、年々商業の中心が三島広小路駅(伊豆箱根鉄道)から大社方面へと移っていきました。近年では、この市ケ原通りは年々後継者がいなくなり、空家や駐車場が目立つようになってしまいました。
 年間の参拝者も4百万ともいわれる三島大社の門前町として、再び地域の活性を呼び戻そうと門前町下田街道祭りを6年前より毎年9月23日に行ってきました。大社前から東本町(旧二日町)の間眠神社までの500mにわたっていろいろなイベントが繰り広げられました。
 紙芝居、チンドン屋、大道芸、バンド演奏、講談、三味線演奏、ハワイアン、沖縄民謡、子供シャギリ、各種露店------もりだくさんの出し物でした。当日は秋晴れの絶好な天気で、人気イベントの前では、前へ進むのも苦労するほどの人出でした。
 
大社鳥居前から南方向に
日本傘を使ってのの曲芸
11/8我が家の大菊が咲き始めました
 20年位前、中学校(三島市立錦田中学校)に勤務していた頃、環境美化の一環としてPTAの方々と大菊つくりを2年間ほどしたことがありました。昨年中学校を退職したのを契機として、菊作りを再開しました。しばらく菊作りをしてなかったので、3鉢ほど栽培書をたよりにつくってみました。11月に花が咲いたのですが、弱々しい花となってしまいました。今年こそと思い新しい品種も10種ほど買いこみ、肥料と水やりと土に気を配り15鉢ほどつくりました。大部分の花はそれなりの大きさに咲き出し、3・4鉢は菊花展に近い豪華な花が咲きました。本堂前と玄関先などにも6・7鉢ほど起きました。
 よその菊の情報もかねて、8日に三島楽寿園の菊花展を見てきました。県内あるいは東海地区有数の菊花展ですので、平日にもかかわらず我々が帰るころには多数の観光客ら来園してきて、写真撮影どころではないくらい混雑していました。
境内の菊
楽寿園の菊花展
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縮尺1/2の五重の塔
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門前町