古文書A建物、土地などの財産が明記、左の弘化2年は1845年にあたり190年前の中央の開山大雲慈宗和尚の亡くなった明暦元年(1655年)に一致している--これは上記の古文書と別な時代のものか?

古文書@右側に元禄年間(西暦1688年〜)、小田原城、早雲寺、来山の文字や中央には本堂などの建物、土地などの記述あるが文章の判読は困難-------北条氏滅亡とともに廃寺となった龍泉寺が江戸時代に再興されたらしい内容が書かれているのでは?     上記の古文書の訳

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龍泉寺墓地参道・本堂天井
     修復工事が完了 
h21,12,15

 龍泉寺墓地の中央参道は以前から階段の角度が斜面がきつくなるにつれて前に傾き、また苔がはって滑りやすくなってお年寄りには上り下りが大変苦労していました。数年前に数社に見積もってもらったところ値段が倍近く違うなど工法によって差がかなり、充分に吟味して今回の工事になりました。この参道は冬の間日がささず、霜が張って凍ってしまう場所もあり、暮れのお墓掃除に間に合うように11月から取り掛かり12月15日に全て完成しました。ただ、12月18日の伊東沖の震度5弱の地震で参道の一部にわずかだがひびが生じており修正の方向で工事事業者と相談中である。また、併せて本堂の天井が古く間から埃が落下することもあり全面的に修理をしました。ただ、天井を取り除いたとき屋根の間から空が見えるところもあり、緊急に屋根を修理しなければならない状態があることがわかり今後急いで検討しなければならなくなりました。
 本堂の天井修理が終わりましたので本堂の大掃除を兼ねて副住職、家内と1日がかりで掃除をしたのですが、たぶんいままで掃除をしていなく埃が積っていた本尊右側奥の古い小さい社と歴代和尚の位牌も全部取り出す中で龍泉寺再建?にかかわる古文書2枚を発見しました。小さい社は虫食いがあり、破損が激しく修理不可能な状態でしたのだ廃棄しましたがその中に古文書が置かれていたのはよほど大事な文書ではなかったのではないかと思われる。古文書も一部虫食いがあり、保存状態も悪く早急に修復し、また難解な文章なので自分には判読不可能なので見識者にもみていただくように考えています。

 参考文献:龍泉寺の一番古い過去帳より
名目上の開山梅隠宗香禅師と実際の開山大雲慈宗禅師が左端に明記してある
梅隠和尚の亡くなったは天正17年(1590年)は秀吉によって北条氏が滅亡した年にあたる

本堂内陣の右奥にあった小さな社と古い歴代和尚の位牌の間にあった古文書(元禄時代)

すべてコンクリートを除いた参道

手すりもつき、お年寄りにも楽な参道となった

修理する前の滑りやすい参道