北条幻庵と関係のあったとされる
          早雲寺の末寺 
h22,4,13

 金龍院は北条幻庵が創建した臨済宗大徳寺派早雲寺末の寺であるが開山は不明、明治初期の廃仏毀釈にて廃寺となり現在は宗派では直接関係のない曹洞宗の寺院となっている。開基の位牌の中に北条幻庵の戒名『金龍院殿明吟哲公大居士』幻庵宗哲は大徳寺派の僧名)が現在まで金龍院に伝えている。この寺の近くには水量は少ないが落差105mの伊豆の名所旭滝がありこの可憐な滝の姿から尺八の名曲『滝落ち』が生まれているのだが尺八の名手であった北条幻庵が作ったとも?言われている。また「一節切り尺八」も自作するなどして一族の中に尺八が広まっていった。
 この場所には伊豆唯一の虚無僧の寺『瀧源寺』(普化宗)があったとされるが明治の廃仏稀釈で廃寺となり現存していない。京都には縁者が多い幻庵と普化宗との関係も予想され、江戸時代になると関東地方に普化宗が急激に増え、武士から農民になった北条一族の中には虚無僧(尺八)になったものも多かったのではなかろうか。本尊十一面観音菩薩は県の文化財として現在の金龍院に保存されている。昨年の静岡新聞にこの尺八の名曲『滝落ちの曲』は現在でも地元保存会によって秋に現地にて演奏されていることがでていた。この虚無僧の『滝落ち』の名曲より愛読している内田康夫氏の浅見光彦シリーズ『喪われた道』が生まれたともいわれ、昨年の12月1日の内田康夫氏の修善寺での講演会で直接そのエピソードを聞くことができた。
 早雲寺派の寺々と戦国末期の情勢     二つの北条幻庵屋敷跡

            参考資料 早雲寺
        小田原北条氏菩提寺の歴史と文化
            著者早雲寺史研究会
            発行 神奈川新聞社   

(小田原久野)

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(伊豆の国市)

早雲寺第八世梅隠宗香禅師を通して

 昨年祐泉寺と龍泉寺の開山梅隠宗香禅師(早雲寺第八世)の大きな画像を本堂に飾ることになり、開山と開基と山号について法要後話をするようにしてきた。その中で北条幻庵と梅隠宗香の関係の深さが随所に見られることから早雲寺末の寺々との結びつきを再度編集してまとめてみた。
 北条幻庵は小田原北条氏の初祖北条早雲(伊勢新九郎)の三番目の男子として生まれ、豊臣秀吉によって小田原落城(西暦1590年)の半年前、97才で亡くなるのであるが歴代党首に次ぐ所領と実力を持った人物で特に北条早雲の気質を受け継いだ当代一流の文化人であったとされる。また『早雲寺第八世梅隠宗香禅師』との関係から早雲寺の塔頭より郊外の早雲寺末寺(宝泉寺・祐泉寺・龍泉寺・金龍院他)の創建や経営援助にたずさわったことが知られている。下記の早雲寺末寺の一部より北条幻庵と関係のあった寺との関係を挙げてみたい(各早雲寺末の寺の詳細は別項目を参照)

旭滝 

北条幻庵の戒名(現金龍院本堂中央)

金龍院(曹洞宗 伊豆市大平)
  金龍院から200m西に龍源院(普化宗)跡と旭滝がある

E金龍院(天文年間?創建--西暦1532〜1555年)

 開山は円覚寺開山仏光国師の弟子の黙翁禅師であるが開基は不明。江戸末期に本堂・庫裡焼失しいつ円覚寺派の寺院から早雲寺の末寺になったかはも不明。ただ、龍泉寺が創建される前は当地の大寺院であり北条幻庵が創建した金龍院には非常に近い場所で幻庵との関係も考えられる

 龍泉寺過去帳には梅隠宗香禅師を開山として書いてあるが開基は不明で創建年月日についても記録なし。隣村に早雲寺末寺の大寺院曹源寺があるが、当地は武田氏の伊豆進出に対する重要な場所であった為創建された寺ではないかと思われる。北条幻庵の屋敷と領地が当地から近い修善寺大平にあることと梅隠宗香禅師が開山であり幻庵の援助が想定される

D曹源寺(元徳3年創建--西暦1330年)

C龍泉寺(天正年間創建--西暦1580年頃)

蒲原城合戦では弟の長順(箱根神社別当)と共に戦死、左のやや小さい墓が長順であると伝承されている

B祐泉寺(永禄10年創建--西暦1567年)

 北条五代の墓地がある大徳寺派の関東での中心の寺で開基は北条早雲とされているが実際は嫡男の氏綱が完成させたといわれ、梅隠宗香禅師は第八世である。また現存する庭園は北条幻庵が造ったとされる。

北条幻庵作と言われている早雲寺庭園

@宝泉寺(永禄3年創建---西暦1561年)

A早雲寺(大永元年創建--西暦1521年)

 北条幻庵の代官屋敷があった久野より数里南にある宝泉寺の開基は幻庵の嫡男『三郎時長』であるが若くして亡くなった為父の幻庵が没後直ちに援助し、永禄年間(西暦1558〜1570年)に創建されたと思われる。また早雲寺第八世梅隠宗香禅師は二代住職とされる。左の寺領安堵状は幻庵が元亀3年(西暦1572年)に発行した文書である

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北条幻庵 天正17 年西暦1589年没 97才(近藤正浩蔵 小田原市久野)

梅隠宗香禅師 天正17年11月26日没(早雲寺蔵 箱根町湯本)

北条新三郎氏信の墓所(祐泉寺墓地西側)

 北条幻庵の嫡男三郎時長が若くして亡くなった為幻庵の後継者となった次男の新三郎氏信が梅隠宗香禅師を招いて開山とした。氏信は小机城主(横浜)であったが氏康の命で武田信玄の駿河侵入に対峙するため蒲原城主となったが永禄12年12月戦死、その後の祐泉寺維持に関して保護・援助したと思われる。

北条幻庵の宝泉寺寺領安堵状   宝泉寺蔵

(小田原風祭)

(伊豆市大平)

(伊豆の国市)

(三島市)

(箱根湯本)

金龍院