北条幻庵の主な略歴 h24,1,30

西暦       幻庵の動向      北条一族の動向      その他
1487 早雲今川家家督相続を治める
 興国城主になる 57才
1488  韮山城主
1493 駿東郡葛山の館で生まれる?(北条五代記より)
幼名 菊寿丸
幻庵誕生年は1504年〜21年頃とも
1495 早雲小田原城奪取
1501 8,9才頃 箱根神社に預けられる 
1507 14,5才頃 三井寺にて修行 
 (連歌師谷宗牧の東国紀行より)
1519 27才 早雲死去前後まで伊豆大平に屋敷 早雲韮山城にて死去 88才
1525 34才 箱根神社別当へ、第三子長順得度
  (連歌師宗長日記より)
後箱根別当職は三男長順に継承 
  事実上の支配権は幻庵
1535
44才 氏綱、氏康らと関東に大勝格で参陣
    翌年より支配文書発給--各朱印状より
1538 47才頃 小田原久野の館へ移る
  (冷泉為和の日記他より)
1541 50才 氏綱死去55才 氏康27才 今川義元22才 武田信玄21才
謙信14才 信長8才 秀吉6才
1545 54才 扇谷上杉氏滅亡
1552 61才 氏康・幻庵が上杉憲政を越後へ追放 関東の中心部を統括
1554 63才 三国同盟を結ぶ 武田信玄、今川義元らと
1555

64才 小机城(横浜)の支配権を長男時長に継承
氏堯の後見人は幻庵(平井文書他)
1560 69才 小机城主 時長→氏堯→氏信へ 1561〜69年 桶狭間の戦い 今川義元死亡
武田家川中島の戦い後 →駿河侵公目指す
1562 71才 幻庵おぼえ書書作成
     氏康姫輿入れに
吉良氏朝の妻(氏康の養女--幻庵の娘?)へ
1564
73才 嫡子氏信 西園寺公朝の娘を妻に
 京の公家から姫を迎えたのは北条新三郎のみ
1568 77才 織田信長上洛
1569 78才 蒲原城合戦 幻庵の子二人死去
 氏信(蒲原城主)、長順(箱根別当)
武田信玄駿河侵略
1570 79才 嫡子氏信戦死のため氏康の子を婿養子 氏康死去57才  氏政当主に
幻庵娘婿 上杉家へ人質
上杉と同盟    1573 武田信玄死去
 景虎として養子となる
1579 87才 朱印状発給す 新井家文書より 1578 上杉謙信死去 同年景虎死去
1590 97才 小田原久野にて死去  半年後小田原北条氏滅亡
     1567年以降の表
 

金龍院は幻庵が創建した早雲寺末の寺院だが明治期の廃仏毀釈にて廃寺となり跡地に同じ名前にて建立された直接関係のない曹洞宗の寺院となる:伊豆市大平

幻庵屋敷跡(小田原市久野にある幻庵廟)

北条幻庵位牌:金龍院殿明吟宗哲公大居士(現金龍院本堂)

北条幻庵肖像画:近藤正浩氏所蔵(小田原市在住)