長瀬配水池(伊豆の国市)造成工事の
地鎮祭が無事終了す h24,3,24
先の反対側に龍泉寺が位置する
龍泉寺の山号になっている松洞地区6000坪の寺領がある
下畑方面
昨日の雨は夜半には上がり雨の心配はなくなりましたが朝から風が強くテントの周りの幕が舞い上がるほどの突風もありました。
伊豆の国市の望月良和氏をはじめとして建設業者の小野建設・蓮池設計事務所の関係者、十数名の市会議員、地権者、長瀬地区の各組長、市役所関係者など36名の参列者のもと長瀬配水池(伊豆の国市上水道計画事業)の造成工事の地鎮祭・安全祈願祭を無事挙行することができました。
伊豆の国市の市町村合併(韮山・伊豆長岡・大仁町)に伴い上水道の改良工事の一環としてようやく長瀬配水池が計画実施されるようになった。特に旧伊豆長岡町は上水道の水質が満足いくものでなかったのですが旧大仁町の下畑地区の水源地から上質な水が長瀬配水池に運ばれる壮大な工事が始まった。完成予定は平成26年を予定しているそうで地元の長瀬、戸沢、長岡温泉場周辺に配置されるようである。配水池がやや高台にあるため、長期の停電等の災害にも緊急水源としての活用が期待されている。
現在の龍泉寺がある場所は戦国地代に伊豆中央部から西海岸の長浜にでる重要な山越えルートで韮山城と長浜城の連絡通路にもなっていたようだ。寺までは平坦であるがその先は長瀬川をさかのぼる道が続いており海へ抜ける最短の山越えコースにもなっている。寺の場所は12月~2月頃まではあまり日がささず日中まで氷が解けないお参りには不向きな場所であるが山号になっている北側にある松洞地区は長瀬部落の中でも一番住みよい場所となっている。従って当時の状況によっては寺を松洞地区へ移転する可能性もあったと想像される。小田原北条氏一族が関係する龍泉寺の建立目的が宗教的な面より補給と情報提供の軍事的な要素がからんで現在位置になったのではなかろうか。伊豆の国市が配水池建設にこの松洞地区を環境的に優れているとして選定したのもうなづける。配水池の現場が龍泉寺の寺領にほとんど含まれている起因は伊豆を支配していた小田原北条氏と伊豆の国市の当時と現在の社会情勢まで影響を与えていたのではないだろうか
配水池場所
配水池造成工事場所と龍泉寺(長瀬)との関係
(東西にはしる県道の正反対の山裾に位置)
朝方は風はやや強かったが幕がなびく程度、開会の11時には突風が吹き込むこともあり供え物の位置も変更す。テントの中の祭壇の前方に配水池工事現場がある。
伊豆の国市の挨拶
小野建設社長、市長、設計事務所所長による四方清め払い
風が強い中地鎮祭が行われた