みしまお寺めぐりの会第4回目の來さん h28,10,1
為昌
※氏忠
→
氏忠
氏康の子
氏光と再婚
先週の日曜日(9月25日)に上記の会協賛の「三島のお寺で座禅と街歩き」で同じ龍沢寺修業時代の先輩にあたる宝鏡院の手伝いに修行仲間の梅龍寺さんと副住が行ってきたようです。常日頃同会の活動を見守っていますが三島の寺の再発見が伝わってきています。また、歴史的な資源を生かしたまちづくりを進める三島市が10月3日に「歴史的風致維持向上計画」として国の認定を受けることが決まりました。静岡県内では初めての認定で再度市内の歴史的遺産にも注目が上がる機会となりました。
今回は大河ドラマの「真田丸」の中から北条末期の小田原北条氏と祐泉寺との関係を話すことにしました。9月25日の大河ドラマで九度山にいる真田信繁を訪ねた北条氏政の側近板部岡江雪斎が出ていました。これを糸口に上杉景虎と景勝の御舘の乱の時沼田城を奪った北条家やその後真田家に帰属した問題が秀吉の前でどちらの物かを上記二人が論戦したこと。さらに紀州、水戸家の初祖の祖母が板部岡江雪斎の姉の子?説の件まで広げて北条末期の話を1時間ほどしました。
上杉家の沼田城を北条氏が奪うが、その後真田家へ
(上杉謙信養子へ)
景虎
景勝の姉
男子
※御館の乱で死亡
氏堯 →
氏堯の子が有力
※宝泉寺、祐泉寺、 金龍院とも
早雲寺末寺
氏堯(氏康の子)
※徳川頼宣(紀州藩初祖)
徳川頼房(水戸藩初祖)
→
氏隆(氏信の子)
田中奉行(岡野融成)
※上記3人の娘のいづれかがお万の方の母?
→
子
?
板部岡江雪斎
(田中奉行)
お万の方へ?
→
氏隆
娘
西堂丸(氏康の子)
→
幻庵
(三郎・長綱)
※西堂丸
※氏光
氏堯
(金龍院創立)
北条氏滅亡の半年前
まで生存 97才
若くして死亡
蒲原城合戦で戦死
景虎養子後
(元服して三郎)
お万へ?
お万の方へ?
後北条一族の家系図とお万の方との関係