戦国時代の小田原北条氏の城と第六天 h28,2,8
興国寺城(沼津)と泉頭城(清水町)から祐泉寺第六天の起源は?
一昨年柿田川公園の泉頭城跡案内板が清水町によって再編集して更新され、戦国末期の第六天の存在が明白に提示されていました。また北条早雲の最初の城であった興国寺城跡にも第六天の存在が沼津市の発掘調査にもでており城の守り仏として位置づけられていました。以前から現在の祐泉寺第六天のルーツが不明であったが上記の理由から次のような結論に近づけれるのではないか。
小田原北条氏と第六天が戦国期から信仰される中、北条氏信(早雲孫:武田信玄の駿河侵攻の抑えとしての蒲原城主)が祐泉寺創建時(西暦1567年)に境内に第六天を祀りえることもありえるのだろう。
令和元年8月に祐泉寺に来られた神奈川県の方から八王子城にも第六天があるという情報を聞いて神奈川県内にも城の中に第六天があるのではと思い調査してみました。八王子城と中川城(相模)にもあることがわかり、他にないか神奈川中央図書館に尋ねましたが郊外には多数あるが第六天が城内にある場所はないとの返答でした。
鬼門(北東)に第六天像
昭和55年沼津市興国寺城発掘調査資料より
泉頭城跡(清水町)平成26年柿田川公園案内板再編集
戦国末期武田勝頼伊豆侵入(1580年頃)に備え各曲輪を整備した泉頭城
昭和58年清水町泉頭城発掘調査資料より
第六天曲輪
興国城跡地籍図(沼津商工会議所記載許可済)
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本法寺
歴代城主の館
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