早雲寺末寺団

1、早雲寺と大徳寺
 
 早雲寺の本山である大徳寺は大燈国師宗峰妙超が元応元年(1319年)紫野に移住し移住し、赤松則村の援助で小院を構えたことから始まる。.のち宗峰の名声が高まり、花園上皇、後醍醐天皇の帰依を受けるようになると京都五山に列っせられるようになる。宗峰没後、室町幕府が成立し夢窓疎石の五山派が勢力を伸ばすと、幕府より疎まれるようになり、宗峰の弟子関山慧玄を開山とする妙心寺とともに在野的立場をとり、臨済禅のなかでも独自な存在となるのである。応仁の乱で、焼失した伽藍を一休らの努力で復興した頃の大徳寺は、学問、文芸などのために禅を堕した五山に対抗してあくまでの純禅という実践のための禅の気風にあふれていた。
 北条早雲が大徳寺の禅にひかれ、みずから鍛えなおそうとしたには、そういう背景があったと考えられる。当時、大徳寺は、多くの戦国武将の帰依をうけ、山内には諸大名の塔頭寺院が相次いで建立され、秀吉の帰依をうけてからは、全盛時代を謳歌し、千利休はじめ堺の商人の援助のもと大徳寺文化とよばれる文化を花開かせている。従って北条早雲は、それらの先駆けとなった武将の一人であり、自ら禅僧の仲間に加わった。関東の有力大名となった北条早雲は『早雲寺殿二十一箇条』という独特の家法を示し日常生活を軽視しない早雲の行き方は、大徳寺での体験を生かしたものと言えよう。
 早雲寺を創建したのは北条氏綱であるが、生前早雲が大徳寺83世以天宗清を伊豆韮山の香山寺に住まわせて準備していたことが古文書に記録されている.
 氏綱以降北条氏は勢力を伸ばす中、自分の勢力範囲に大徳寺派中本山早雲寺山内に数々の塔頭寺院や末寺を次々に建立していった。現在の箱根湯本全体が境内地であったと伝えられ、その中に北条氏綱が建立した『春松院』をはじめとして、一族らによって下記のような多くの塔頭寺院が造られていった。又秀吉の小田原征伐によって破壊された寺々も江戸時代の家光のとき、早雲寺や下記の寺院らが再建された。
3、おわりに
 江戸時代になり早雲寺末寺として再編成された寺が上記の13ケ寺で、その内増えたのが2ケ寺のみという状態であった。後北条の精神的支えであった北条氏の一族の寺が基の状態に戻ることは、北条氏の支配地に入った徳川氏としてみれば避けなければいけなかったであろう。特に農民にたいする税の在り方が、北条氏五代にわたって『四公六民』というものと、徳川幕府の『六公四民』という違いがある土地柄から、北条氏の生活心情や文化の発祥地である寺々が押さえられてしまったのだろうか。従って北条氏の支援がない早雲寺末の寺の中には、江戸時代から現在にいたるまで、経営的困難な状態が続くものがあった。ただ一つの例外は北条一族より以前から関東のある地域を支配していた太田氏の菩提寺の広徳寺(五代氏資没後北条氏支配)が江戸時代再建され、徳川幕府と庇護の基、江戸有数の寺院になったのは自然な流れであったかもしれない。

参考文献  『早雲寺』小田原北条氏菩提所の歴史と文化  
     著者  早雲寺研究会
           千代田紹禎(早雲寺住職)
           岩崎宗純  (正眼寺住職)他
             発行  神奈川新聞社 


                  

駿府城

小田原城

韮山城

長浜城

興国寺城

蒲原城

鎖雲寺・浄福院

龍泉寺・曹源寺

祐泉寺

早雲寺・正眼寺

鑑照寺

宝泉寺・願修寺・呑海寺         昌福院・伝心庵

 ③江戸時代に早雲寺末寺になった寺
寺院名  建立地   開山      開基        備考
正眼寺 箱根湯本 菊径宗存     不明
    
呑海寺 小田原東町   同上     同上   
浄福院 箱根塔ノ沢 燈外宗伝     同上   
鑑照寺 伊勢原 瑚雲珊公     同上      
 ②再建された旧早雲末寺
寺院名   建立地   開山   開基   備考
宝泉寺 小田原風祭 大室宗硯 北条時長 小机城主 幻庵の長男
願修寺 小田原城内 泰岬宗初 北条氏康室   
伝心庵 小田原中町 寳岳 北条早雲後室     
昌福院 小田原東町 喜安宗慶 道海居士    
祐泉寺 三島市 梅隠宗香 北条氏信 蒲原城主 幻庵の二男
龍泉寺 伊豆の国市   同上   不明    
曹源寺 伊豆の国市 黙翁禅師   不明 鎌倉時代創建
鎖雲寺 箱根須雲川 花岳宗栄   不明     明治初期廃仏毀釈にて廃寺
※金龍院 伊豆市 不明 北条幻庵
北条氏略系図         
早雲
氏綱
氏康
氏政
氏直
北川殿
今川義忠
氏親
今川氏親女
武田信玄女
徳川家康女
氏時
宗哲
時長
氏信
(幻庵)
宝泉寺
祐泉寺
氏照
氏昌
国増丸
源五郎
※大田氏資
   養子
  (広徳寺
桂林院
武田勝頼
早雲寺

(※金龍院

..

寺院名           住所  住職名   開基
龍泉寺 静岡県伊豆の国市長瀬241 高田祐介 不明
曹源寺 静岡県伊豆の国市小坂542 高田祐介 不明
祐泉寺 静岡県三島市大社町5-13 高田祐介 北条氏信
早雲寺 神奈川県足柄下郡箱根町湯本4-15 千代田紹禎 北条早雲
正眼寺 神奈川県足柄下郡箱根町湯本1562 小野宗幸 不明
鎖雲寺 神奈川県足柄下郡須雲川158 近藤関嶺 不明
浄福院 神奈川県足柄下郡塔ノ沢125 千代田紹禎 不明
宝泉寺 神奈川県小田原市風祭918 原 宗寛 北条時長
昌福院 神奈川県小田原市東町3-10-20 江口文亮 道海居士
呑海寺 神奈川県小田原市東町3-12-28 金親善学 不明
伝心庵 神奈川県小田原市中町1-14-10 江口文亮 北条早雲室
願修寺 神奈川県小田原市城山3-1-19 岩山宗應 北条氏康室
鑑照寺 神奈川県伊勢原市田中1197 三浦宗清 不明
大徳寺派 第四教区  13ケ寺 (早雲寺末寺団)
 ①現存していない塔頭寺院
寺院名 建立地    開山    開基     備考
春松院 山内塔頭 以天宗清 北条氏綱 氏綱菩提所
養珠院   同上   同上 北条氏綱室  
大聖寺   同上 明叟宗晋 北条氏康   
天用院   同上 松裔宗全 北条新九郎   
円通寺   同上 不明 北条佐衛門   
黄梅院   同上 万仞宗松 北条氏政室 信玄第一息女
本光寺 小田原城内 大室宗硯 北条彦九郎   
栖徳寺 小田原久野   明叟宗晋 北条幻庵母 早雲後室岩槻城主
*広徳寺 小田原   同上 大田源五郎

曹厳寺

龍泉寺

祐泉寺

大徳寺派の分布

大徳寺

関東の早雲寺末寺

早雲寺