第六天とはどんな神か

第六天のルーツ

沼津編

後北条の城と第六天

誰が信仰を広めたか

清水町編

伊豆編

近隣住民との関り

ご神体とは

全国編

三島編

境内編

今から十数年前、祐泉寺境内にある旧市ケ原・二日町の神社『第六天』は各町内にある神社とは異なるではないかということが一部の役員の中で話題となっていました。今まで町内の氏神として各町内と同じように三島大社の神主にきて祭事をやっていただいていました。ところが三島大社の神主から第六天は神ではない雑尊であり、祭事は境内にあることから祐泉寺住職に祈祷してもらったほうがよいのではと町内の役員に伝えられました。
 上記のことから町内の役員方から来年から祐泉寺住職が変わって祭事やってほしいとの依頼があり、何故祐泉寺の住職が祈祷をするか本格的に調査し、平成4年に下記@(境内編)の報告書を大社町一区・二区全戸に配布しました。
@祐泉寺境内の第六天の由来(境内編)
 平成13年、地区の役員から第六天の特徴をデザインした『てぬぐい』を町内全戸に配布したいという話があり、以前調査した内容が不完全で何故祐泉寺境内に第六天があるか説明できませんでした。10年前にはインタ−ネットがなく、調査の範囲も限られていたのですが、今回はインタ−ネットの中に大変多くの第六天のサイトを発見、その中より信頼できる資料をもとに下記ABの資料をまとめてみました。
A他にもあった第六天---三島地区編
B他にもあった第六天---全国編
 第六天魔王としての織田信長については、昨年の調査で知ったのですが後北条の寺の一つである祐泉寺がこの時代に創建されたのも何か関係があり、第六天が境内にあっても不思議ではないのでないではないか。
 平成15年に祐泉寺境内の伊豆国分尼寺の礎石資料を提供した縁で隣接の清水町より『清水町史通史編』をいただいたのですがその見出しペ−ジの絵図を見て大変驚きました。その絵図は江戸時代作成の古地図で、戦国後期の後北条の城跡と第六天がのっており、さらに当時の城主が蒲原城で戦死した北条新三郎氏信(祐泉寺創建)の部下であったことが判明、ますます祐泉寺と第六天の接点が近づいたのではないか。この『清水町史』の編纂にあたった職員の長島 聡氏よりその内容を伝えたところその古地図にあった城の発掘調査資料(昭和58年)を送っていただき、それをもとに下記の資料にまとめてみました。
C三島周辺の第六天
D第六天の象徴としての仏から神への変身
E第六天と旧市ケ原・二日町住民とのつながり


     織田信長から小田原北条氏へ?
 戦国時代、織田信長が自らを第六天魔王信長と称し、公式文書に登場するのであるが織田信長が勢力を伸ばす期間が短かったために第六天信仰のひろがりは一部の中央にしか広まってない。武田家が織田信長のよって滅ぼされ、その護符としての信仰が武田領、そしてその親戚である小田原北条家へ広がっていったと藤縄氏(横浜在住)は『残っていた第六天』で下記のように説明している。
 江戸時代の歴史書では小田原北条氏の旧所領であった相模・武蔵・伊豆に第六天社が非常に多く残っている。特に都市部には少なく農村部に多いことから農村に逃れた北条家の家臣達が農民となりその信仰を広めて言ったのではないか。
      相模・武蔵・伊豆の第六天社の数

1、新編相模風土記稿(天保年間の江戸幕府調査資料)       686社

2、新編武蔵風土記稿(同上)                 3080社

3、伊豆志稿・増訂豆州志稿(秋山富南他による幕末・明治初期資料) 50社

     
祐泉寺境内の第六天の創立時期は?

 境内の第六天がいつ創立されたかは定かでないが、社に奉納されている一番古い奉納版には享保10年(1725年)と書かれているおり、また祐泉寺が再興されるのが三代将軍家光の時代であることからその頃からとも考えられる。ところが最近になって祐泉寺創建の北条新三郎氏信(蒲原城主)に従って当地で戦死した北条家有力武将である多目周防守の城主跡を示す絵図を見つけました。天保年間に書かれた駿河国駿東郡泉頭絵図に多目家と第六天鳥居が明記、また上記で述べた清水町調査資料(泉頭城跡)にも第六天曲輪の表記があり戦国後期には伊豆地方にも第六天信仰があったのではないかと予想されるのである。
 蒲原城落城は永禄12年12月(1569年)、同年代の織田信長は将軍足利義昭を伴い上洛していたことを考えると小田原北条氏への第六天信仰の広がりは北条氏綱あるいは初祖の北条早雲(伊勢新九郎)自身までさかのぼることができないだろうか。戦国時代の下克上のさきがけとなり、古い秩序を破壊した北条早雲が信仰していても不思議ではないだろうか。

江戸時代より第六天が確認
       された地域 
h22,6,9現在

石碑は多数存在

山梨 5社

長野 4社

御殿場・小山地区
   15社

旧武田領

蒲原地区
 3社

沼津地区
14社

三島
伊豆
50社

相模 686社

武蔵中心に 3080社 

織田信長から後北条への広がり?

 

学研文庫より複写